親父さんの耳に念仏( -ノ-)o"Ω ポクポクポク...昔の日本人はホントに道徳意識が優れていたのだろうか

安善家がよく訪れる公園の駐車場は一方通行である。
ところが親父さんは時々それを無視して、入り口から出て行く。
オレが「あ、そっちは入口だって、一方通行だよ」と言うと、親父さんは...

「いいんだって、こっちの方が近いんだよ(* ̄ー ̄)v」

ある日、透析が終わって透析室を出たところで送迎バスを待っていると、車イスに乗ったじいさんが
なにやら口をモグモグさせている。
「なに喰ってんだろう(¬_¬)?」
と思ってよく見てみると...つまようじをくわえてモグモグやっていた。
そして次の瞬間...

ぺっ!( ゚д゚)、ペッ

その場で吐き出したとさ。

別の日...
同じように透析開始を待っていたバァさん。
おもむろにポケットからティッシュを取り出して、「ちーんっ!」。
その後、ちらちらと周囲を見回して、ごみ箱がないコトがわかると、
テレビのラックに積まれた、いろんなパンフレットの上に...

ぽいっ!( ̄ω ̄=)ノ"⌒*

さらに別の日...
別のバァさんがトイレに入って出てきた。
ところが...

トイレのドアは全開のまま┐(๑´ㅂ`๑)┌ヤレヤレ

その近くのテーブルでは病院の給食食べてる人何人かいたのに、トイレの芳香剤の匂いが充満していたよ。

「昔の日本人は躾がしっかりなされていた」
とよく聞かされるが、ウチの親父さんや透析室のジィさんバァさん見てると、そこに疑問符が付く。
「歳をとったから、仕方ないよ」
...というコトではないように思う。
この人たちは若い頃からそうだったのでは、と思わせられるのだ。
オレ思うに...
日本人的な躾による美しい所作、あるいは倫理観といったもの、日本の歴史的文化は、
極々一部の上流階級によって保持されきたのではないだろうか。
一般庶民では躾が行き届いていないのは昔も今も変わらないのかもしれない。

と、躾なんて全くなされずに大人になったオレが言ってみちゃう(* ̄m ̄)プσ

高齢者とオレたちより下の世代の違いとしては、
コミュニケーション能力の差があげられるとは思うけれど...

で、オレもそのコミュニケーション能力がやたらと低い部類に入るワケだけれどね(≧∇≦)ノキャッキャッ!




この記事を読んで「良かった(≧∇≦)b!」と思う者は、
下のバナーをふたつともポチるべし!ポチるべし!ポチるべしっ!!↓

にほんブログ村 病気ブログ 人工透析へ
スポンサーサイト

DQNネームを見て思うコト

人のお名前って、そのご両親が思いを込めて命名しているのだから、
他人がそこに文句をつけるコトは、基本的にはいけないコトだとは思う。

それ前提で言ってしまうのだけれど...

お子ちゃんがテレビに登場するたびに、最近はDQNネームが多いなぁ(。-_-。)って思ってしまう。
名前って、他人から使ってもらってなんぼでしょ?
なのに、親が自己満足に陥ってる...┐(๑´ㅂ`๑)┌ヤレヤレ

フジテレビ「とくダネ」コメンテーターで元ニューズウィーク日本版編集長の
竹田圭吾氏などはもっと辛辣に
「これって虐待ですよ」
と発言、DQNネームに寛容的だった出演者らの爆笑を誘ったがスタッフらは凍り付いただろうね。

以前の記事で竹田恒泰氏の
「(五輪で)負けた後にへらへらと笑って『楽しかった』と言ってしまうコトはあり得ない」
という発言について書いた。
竹田氏の発言の真意は、選手らのそういう発言が妥当であるのかどうかではなく、
世の中にはいろんな受け取り方をする人がいるのだから発言は慎重に、というものだった。
実際にアトランタ五輪では競泳の千葉すずという選手が、
「五輪には楽しむために行った」
「日本人はメダル基地外だ」
「そんなにメダルが欲しければ、自分が出ればいい」
と発言し、メディアから総バッシングを受けている。

言葉はそれを発信する人だけで完結するものではない。
それを受け止める人がいて初めて、成り立つコミュニケーションツールなのだ。

それと同じで、両親が「個性的」だと思って自分の子にDQNネームを命名したとしても、
それが他人様から「個性的だ」「素敵だ」と評価されなければ意味はないし、
そもそも論として、そんな「絶対的な個性」などというものが存在するワケがない。

これまで、名前のつけ方というものはその社会の常識的な価値観を
反映したものではなかったか。
少なくとも日本ではそうだったハズだ。
だからこそ、その名前を読んだだけでその親御さんがどんな願いを込めたのか、
それが分かる名前が今までは多かったのだ。
そういう"公"の常識的な価値観から浮遊した"個性"、つまり独りよがりの"個性"になんて、
一体何の意味があるというのだろう。

米国の共産主義者がたった1週間で作り上げ、彼らに押しつけられた現行の日本国憲法によって
"公"にあたる部分、つまり常識的な価値観を否定しひとりひとりが勝手に"個"を
自己主張するばかりになってしまった。
ひとりひとりが他者からの評価を抜きにして、勝手にそれが「個性的なんだ」と解釈して、主張する。
こんな愚かしいことがあるだろうか。




この記事を読んで「良かった(≧∇≦)b!」と思う者は、
下のバナーをふたつともポチるべし!ポチるべし!ポチるべしっ!!↓

にほんブログ村 病気ブログ 人工透析へ

誰だって自分の仕事は増やしたくはない

何度も言ってるように、オレは在宅勤務の契約社員だ。
この2月14日の雪が降るバレンタインの日に復職したファンタジックな男なのだo(`⌒´*)oエッヘン!
なんでこんなコトをこのブログに何度も何度も書いてるかというと、このブログの読者さんは、
このブログを毎日読んでいるとは限らないし、初めて読んだ人に対しては
説明しないと事情が分からないだろうからだ。

何度も同じコト聞かされてめんどくせぇと思われる方、すみませんm(._.)m

自宅には、会社から借りてるパソコンが設置してある。
電話回線もオレが使ってるネットの回線とは当然別だ。
プロバイダへの支払いその他、必要経費はすべて会社持ちだからだ。

ところが...
オレがプライベートで使ってるPC+モデムからは問題無くネットに接続できるのに、
会社のPCからはインターネットの閲覧ができないというコトがしょっちゅう起きる。
その度に会社の、ウチにPCを設置しに来てくれた社員さんに相談していたのだけれど、
先日、NTTから会社へ送られてくる請求書の写しがメールに添付されて送信されて来て、
とうとうこう言われてしまった。

「安善さんが一番よく知ってるから、NTTの修理担当に直接問い合わせてください」

...要するにいろんなことをやってもウマく行かないので、さじを投げたのだ。
どうしてこんなことになるのか。
誰だって自分の仕事を増やしたくはないんだよね。

自分も会社員生活が長かったから、そういうの何度も見てきた。
仕事に境界線を勝手に定め、
「自分の仕事はここまで、それ以上のコトはし~らないっ!」
っていう仕事のやり方をする人。
偏見だと言われるかもしれないが...そういう仕事の仕方をするのは女性に多いような気がした。

一番嫌いなタイプの人だよ。

で...説明がめんどくさいので詳細は省くけれど、なんだか話が入れ違いになってしまって、
オレがメールで問い詰められるようなコトを言われる羽目に。
なので、もうめんどくさいので
「明日、私の方から再度NTTへ電話して相談してみます。ご面倒おかけしてすみませんでした。
インターネットに接続できるようになった場合には、あらためてご報告します。」
と謝罪してやりとりを終わらせた。

めんどくさいならめんどくさいって言えばいいのにね。
途中で丸投げするくらいなら、最初からぬこ之助に丸投げしとけばいいのにね。
そうすりゃ2か月たっても問題が解決しないなんてコトにはならなかっただろうに...




この記事を読んで「良かった(≧∇≦)b!」と思う者は、
下のバナーをふたつともポチるべし!ポチるべし!ポチるべしっ!!↓

にほんブログ村 病気ブログ 人工透析へ

贈り物に文句を言うな(¬_¬)?ハテ

かなり以前のフジテレビ「ノンストップ」で、贈り物のマナーについての特集があった。
Twitterと連動しているチャットのようなwebサービス「ピーチク」上では
次のような呟きが流れていた。

「貰っといて、怒る方がおかしいですよね。」
「ってかさ、いちいち悪い意味で取る人なら、それまでの付き合いってことで良いね。
はい、決まり。なので、何でも贈っちゃいなよ。」
「悪い意味で受け取る人なんてそうそういないんだからさ」

贈り物のルールについては先日、千秋も
「めんどくさいから日本全国一斉に無くせばいいんだよ」
と発言していた。
彼女の場合は頭の中が小学生レベルだから、本気で小学校の学級会のノリでそう発言したんだろうが、
大人同士の付き合いでそういうふうにウマくはいかない

お互いに他人同士なんだからこそ、贈り物にもルールを作り、
その贈り物にはどういう意味があるのか予め定めておく必要がある。
マナーに則った贈り物である時には、自分のコトを大事に思ってくれているんだと
相手がそう解釈してくれる。
そのコトで人間関係が円滑になる。

日本の良い文化、伝統だと思うのだが...

以前には食事のマナーについて特集を組んだ時に
「食事は美味しく食べるコトが一番」
「マナーなんか気にしていたら美味しく食べられない」
という呟きが見られた。
今どきの日本人らしいリベラルな発想だと思うが、マナーに意義を感じられない人たちって、
深い思索を思いめぐらせるというコトが苦手なんじゃないのかと思う。
彼らに共通するのは、「目先のことしか考えていない」というコト。
食事のマナーもまた、日本伝統の和食の文化に含まれているというコトを理解していない。

贈り物のマナーにしても、食事中のマナーにしても、相手、周囲の人への思いやり、気配りなんじゃないの?
「私はあなたを人間として尊重しています」
っていうサインなんじゃないの?

そういうふうに偉そうに言ってるオレも、そんなに理解してないけど(。-_-。)




この記事を読んで「良かった(≧∇≦)b!」と思う者は、
下のバナーをふたつともポチるべし!ポチるべし!ポチるべしっ!!↓

にほんブログ村 病気ブログ 人工透析へ

フジテレビ「ノンストップ」に出演した乙武洋匡氏の発言に思うコト

先日のフジテレビ「ノンストップ」に乙武洋匡氏が出演して、
「ゆとり世代の新入社員」について、あるいは教育について議論を闘わせていた。

この番組は関東ローカルで放送されていて、MCはバナナマン設楽統と女子アナの山崎夕貴。
バラエティ色が強い番組なのだが、この日の討論には乙武氏的思想が端的に表れていて興味深かった。

最初に、上司に叱られるとすぐに辞めていってしまう新入社員が多いという話題。
それがホントの話なのかどうか、その根拠は番組内では示されなかったけれど...
そのコトについて賛否を問われた(←この質問もおかしいと思うが)乙武氏は、
「目的があるなら辞めてもいい」と返答。
上司に叱られたコトに逆ギレして辞めていく新入社員に、目的などあるのだろうか(¬_¬)?

また、上司に叱られても謝らない新入社員がいるという話題についても、
「上司に叱られた時に、謝って済ませてしまったら、どうしてそれが間違いであるのか
理解できなくなってしまう。そうすると同じ間違いを繰り返してしまう」と、発言。
会社勤めの経験のない乙武氏にはわからないのかもしれないが、上司と部下とは、お友達ではない。
その関係はあくまで上下関係であって、職場の秩序は基本的に上下関係で保たれている。
秩序を否定すれば組織は機能しない。
次から次へと意思決定が求められるビジネスの現場で、
いちいち部下が納得するまで上司が説明してあげられる局面がどんだけあるというのだろう。
間違いを犯すたびに叱られて、鍛えられ、仕事を覚えていくものだと思うのだけれど。

乙武真理教の一番の実践論は「押しつけない」というコトらしい。
が、子供は大人に押しつけられるコトで、部下は上司に押しつけられるコトで、
見えてくることがあるというコトを、乙武氏および乙武真理教信者はわかっていない。

職場の飲み会の参加を、プライベートを優先して断るコトの是非も話題とされた。
でも、デートを優先して上司さんの誘いを断るなんてくらいのコトは、昔からあったよ、多分。
でもさ、真正面から正直に
「オレ、デートなんで今日は参加できません」
なんて言っちゃうおバカさんがどこにいる?
上司さんは今どきの若い子を理解しようと、あるいは自分との中を深めようとしてくれているんじゃん。
それをむげに断るなんて、失礼にもほどがあるとは思わないのだろうか。

その話題についても、乙武氏は
「自分は子供と一緒にいたいから、断っていましたよ」
と、堂々と答えていた。
そういう西側諸国で常識的とされている価値観を前面に押し出せば
通用するという乙武的言論がどうにも気に入らない。
日本のリベラリストは、いつも日本的価値観を否定して、西洋的価値観を是とする。
それは絶対的に正しいというワケではないハズだ。
飲み会って毎日あるワケじゃないんだから参加しましょうよ。
だったら時々は参加したっていいんじゃないの。

というか、ここまで書いてきて思いついたんだが、そもそも論として乙武氏はどうやって酒を飲むのか。
隣りの席の先生にお猪口を口に運んでもらう?
お座敷に上がるにも、他の教師の力を借りる?
そういうふうに飲み会で嫌な思いをしたくないから、だからいつも飲み会を避けていたのでは?
そして、今になって
「子供との時間を大切にしたかった」
などというキレい事を言ってるだけじゃないのか?
であれば、正直に
「自分は障害者なので、酒の席にいるといたたまれなくなるので参加したくない」
と言えばいいのに。

障害者としては、そういうふうに誤魔化してほしくはない。

職場で会議をした時にメモを取らないで、他人がメモしたものを
写メで撮って済ませる新入社員もいるのだとか。
乙武氏も
「その方が早いですよ」。
と発言。
遅いとか早いとかの話ではないのだが...
一緒にゲスト出演していた 高田万由子の
「写メで撮って、後でキレいに自分でメモする。両方使うのが合理的」
という発言に乙武氏は大きく頷いていたが...現実的な話としては、そういうヤツに限って
写メで撮っただけで満足してしまって、その後メモして整理するコトも、
読み返すコトもしないんだよね。

次は教育の話題。

平日に子供が学校を休んで旅行に行くコトの是非が議論された。
乙武氏は「アリ」と発言。
そのココロは...
「平日が定休日であるお父さんも多い。」
「お父さんは家族と一緒にいる時間を大事にすべき。」
「子供の有給休暇みたいなもの。」
...そういうお父さんの場合は、お父さんが土日に有給休暇を取って旅行に行けばよい話。
だって、お父さんは普通の企業に勤めているなら有給休暇があるハズ。
子供にはそれはない。
常識的に考えればそう。

ただし、常識が通用しない家庭は昔からあるし、そういう家庭は放っておけばいい。
その場にいて一緒に議論していた坂上忍や千秋が言うとおり、平日に休んでもいいという考えが
スタンダードになってしまってはいけない。
だってさ、生徒児童がコトあるごとに休んでたら、授業や学校のイベントなんて
成立しないよ。

生徒児童が欠席するたびに授業がやたらとやりづらくなるハズだが、
乙武氏はその辺、元教員として理解できていないのだろうか。
そんなにテキトーな授業をしていたのだろうか。

乙武氏はいつも、子供の個人的な都合を優先するコトを大事に考えているようだが、
学校という場は、集団としての生活を学ぶ場でもある。
"公"と"個"のバランスをが重視されるのは当然なのだ。

また、乙武氏には、憲法の教育に関する規定を誤解している節がある。
日本国憲法第26条第一項の「教育を受ける権利」は親が学校に行かせる義務なのだと
解されるのが一般的であるコトを、乙武氏は理解していないようなのである。
教員を目指して大学で勉強していた人にとっては基本的な事柄なのに、
それを乙武氏は理解していないように思えた。
だから、
「学校に行くか行かないかは子供の意思次第」
という考え方は、日本が法治国家である以上「基本的には」あり得ないことなのだ。

ド素人のオレが言うのもなんだけれど、彼の思想はどうにも稚拙に思えてならない。
乙武氏のようなたった3年の臨時教員、つまりアルバイト教師の経験しかない「にわか評論家」が
テレビで堂々と
「子供は叱るな、褒めて育てろ」
「押しつけてはいけない」
と、とんでもないコトを言い、乙武真理教の信者であるマスコミや知識階級がその教義を美化、
拡散し続けている。
そして、それを喜んで受け入れている人々が多くいるという現状がある以上、
日本社会を取り巻くこのような"雰囲気"を変えていくのは難しいだろう。




この記事を読んで「良かった(≧∇≦)b!」と思う者は、
下のバナーをふたつともポチるべし!ポチるべし!ポチるべしっ!!↓

にほんブログ村 病気ブログ 人工透析へ
★日本ブログ村バナー★
<猫いらずのうつうつ日記』の応園をよろしくお願いします↓> にほんブログ村 病気ブログ 人工透析へ
にほんブログ村
プロフィール

ぬこ之助@紳士的なおちんつも♡

Author:ぬこ之助@紳士的なおちんつも♡
ぬこ之助@紳士的な尾ちんつも♡です。ども(*´▽`)ノノ
透析患者にしてうつ病患者であるアラフィフ独身男ぬこ之助の毒舌日記。ほとんど愚痴か弱音ばかりかも知れません。苦手な方はスルーして下さい。

日本ブログ村
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
リンク
QRコード
QR